「中国留学を終えて 〜これからの僕〜」染谷圭秀(北京第二外国語学院)

○留学に至るまで

「今中国に留学に行くべきだ。」、今から約2年前、2019年の夏に大学生訪中団の一員として中国に初めて訪れた時に僕はこう感じた。当時は、中国に対して特別興味があったわけでもなく、自分がその後中国留学を目指すようになるとは想像すらしていなかった。

大学1年生の時には中国語を第二外国語として1年間学んだが、中国に行った時にはほとんど忘れており、自己紹介すらできなかった。その時は英語圏の国への留学を目指しており、英語の記憶のために中国語を脳から消し去りたいとさえ考えていた。

帰国した後、すぐに参考書を買い揃え、中国語の勉強を始めた。その後、奨学生としての内定をいただき中国留学に行けることになったが、直後に新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、まさかこんな世界になるとは考えてもいなかった。

 

中国に行った際に最も印象に残っているのは、中国の大学で見た同世代の中国人学生の姿だ。中国滞在中には現地の大学生と交流する機会があり、僕は彼らの勤勉さに驚いた。休日にも関わらず勉学に励む学生で埋め尽くされた図書館は静かなエネルギーに満ちていた。「彼らのような優秀で熱意ある若者がこれまで、そしてこれから中国の成長を担い、これからも中国は発展し続けるだろうな」と感じた。中国の急速な経済成長を支えているのは間違いなく中国の“人”だと確信したのだ。そして、彼らを見習い、彼らから学ぶことが今の自分には必要だと思った。

グローバル化がますます加速する世界において、私はこれから勤勉で熱意ある中国人と国際社会で切磋琢磨していくことになる。実に手強い競合相手だ。しかし、もしお互いに理解しあい、手を取り合えたならなんて心強い存在なのだろうかと感じている。負けていられないと思うと同時に、僕を鼓舞してくれる存在だ。

初めて中国に行った時の写真。この時に中国留学をしようと決めた。

 

○中国語の成長

授業が始まる前には、留学が延期か中止か、オンラインなのか直前までわからない状況が続き、中国語の勉強には手がつかなかった。授業が始まった当初は、先生の言っていることがわからずに笑ってしまうような絶望を感じた。最初の2週間くらいは辛く、授業を受けるのが憂鬱だった。

質問されても上手く返せないもどかしさがあり、予習、復習は必死にやった。そうすると、数週間が経ったころにはだんだんと先生が話している内容がわかるようになり、自分の成長を実感できるようになった。最初こそ自分から積極的に発言することも少なかったが、だんだんと中国語で自分の意見を積極的に発言することができるようになった。

今ではすっかり、脳も口も中国語に慣れ、これはこれで困ったものではあるが、英語でものを考える際にも最初に“I”ではなく“我”が出てくるし、“but”ではなく“但是”が出てくる。

僕がなんとかモチベーションを保って勉強を続けてこれたのも、先生方やクラスメイトのおかげだ。クラスの雰囲気はとてもよく、先生方の授業は親切で熱心で丁寧だった。みんなに会えなかったことが残念でならない。いつかどこかで会えたらいいなと思う。

HSK5級でも9割を獲得することができ、近いうちに6級にも挑戦したいと考えている。とはいえ、まだまだ今のレベルは理想とは程遠いので、これからも努力し続け、さらなるレベルアップを目指したい。

 

○これからについて

思うようにいかないことの多い一年だったが、“人間万事塞翁が馬”、この経験はきっと僕の人生にとって必要なものだったのだと信じているし、初めて中国に訪れて以来抱いている中国に対する強烈な興味は今なお持ち続けている。これからの人生における自分と中国の関係はこの一年を経て、始まったばかりだ。この先どのように中国と関わっていくのか今はまだわからないが、日中友好に少しでも貢献していきたいと思う。

中国へいきたいという思いは日に日に増すばかりで、僕が我慢できずに、日本海を泳いで中国に上陸してしまう前に、1日でも早いコロナウイルスの収束を願っている。

 

最後に、このような貴重な機会を与えていただいた日中友好協会をはじめとする関係者の皆様、ありがとうございました。