「手を繋ぎ、風邪を分け合い、私たちは『今』を生きる」浅川 愛美(北京語言大学)

6月第1週目の週末、南京を旅行してきました。かの地に降り立った瞬間から、私の身体は頭痛がするほどカチコチに強張っていました。大学で近代文学を専攻している身として、この街が持つ歴史の重みを過剰に意識し、勝手に身構えてしまっていたのです。

かつて台湾留学中、私は現地の友人から「過去への罪悪感は今のあなたが背負うものじゃない」と言われたことがあります。それでも南京の地を踏むと、私は理由の分からない緊張と申し訳なさから自由になれませんでした。初日から軽く風邪気味だったことも重なり、私の旅の始まりは重い身構えに満ちていました。

そんな私と一緒に旅をしたのは、私にとって文字通り「小太阳(小さな太陽)」な中国人の友人でした。2人での旅行は3回目、グループ旅行も合わせれば4回目。お互いの性格も癖も知り尽くした、気心の知れた友人です。けれど、彼女がどれだけ眩しく私を照らしてくれても、私はこれから向かう場所への緊張がほぐれることはありませんでした。

旅の最終日の午後、私たちはとうとう南京大虐殺の記念館(侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆)の門をくぐりました。

館内に足を踏み入れた瞬間、私が直面したのは、南京のこの場所で犠牲になってしまった人数の多さでした。その圧倒的な数に足がすくみそうになったその時、私はたまらなくなって、自分から彼女の手をぎゅっと、祈るように握りしめていました。入り口から出口まで、私は一度もその手を離しませんでしたし、彼女も何も言わず、ただ私を受け止めるように、そっと優しく握り返してくれました。一言も喋らない暗闇の中で、ずっと途切れなかったその手の温もりだけが、「私は一人じゃない」という絶対的な安心感を与え続けてくれました。

人数の多さに圧倒された、入ってすぐの暗闇。大きな歴史の重さにすり潰されそうな私を、友人が優しく手を握り返して支えてくれました。

館内の展示を見終わった後、私たちは静かに対話を重ねました。その中でもとても印象的だったのは、友人が言った言葉でした。「私たちは後の時代を生きる人間だから、たとえ家族や親族であったとしても、当時の人々の代わりに謝ることも、それを赦すこともできないと思うの。形だけではできるかも知れないけれど、それは本当の意味で謝ったり赦したりできているわけじゃないから。」

過去を美化も矮小化もしない、今を生きる自分たちの足元を見つめる彼女の誠実な一線に、私は深く救われるような気がしました。お互いに風邪混じりの鼻声を響かせながら、「あの時代じゃなくて、今の平和な日本と中国にそれぞれ生まれて、こうして一緒に出会えて本当に良かったね」と顔を見合わせて話し合いました。

そうして心の強張りが解けた状態で、私たちは犠牲者の名前が刻まれた「哭墙(泣き壁)」の前に立ちました。そこで友人がいくつかの名前ではない名前、「小萝卜(ちび大根ちゃん)」や「小鬼(おちびちゃん)」に目を留めました。

「本名すら分からないままに家族全員亡くなって、きっとこれしか書くことができなかったんだよ。多分近所の人たちがこう呼んでたからじゃないかな?可愛い名前だね。」

彼女の呟きに、胸を突かれました。もし私一人で、あるいは日本人だけでここを訪れていたら、ただの冷たい漢字の羅列として見過ごしていただろう、そのあだ名。それを友人が見つけ、教えてくれた瞬間、かつて南京の街で生まれ、「愛されて生きていた一人の個人」が、生々しい体温を持って私の胸に迫ってきたのです。

国籍も育った環境も違う私たちでしたが、泣き壁を見上げながら辿り着いた思いは不思議なほど同じでした。何の罪もない人々が犠牲になるような時代であってはいけない――そんなことを二人で話していました。

犠牲者の名前が刻まれた「泣き壁」。何の罪もない人々が犠牲になる時代であってはいけないと、二人で静かに祈りを重ねました。

しかし、その極限のしんどさに浸っていた直後、私は中国という国の、人間の、圧倒的な「たくましさ」に驚かされることになります。言葉を失うような展示を抜けた出口のすぐ目の前で、現地のおじいちゃんやおばあちゃんたちが、アイスやみずみずしい果物を売っていたのです。

日本の感覚からすれば「こんな厳粛な場所で商売なんて、不謹慎ではないか」と一瞬身構えてしまいます。けれど、館内で精神を削られ、極限までエネルギーを失った身体は、理屈抜きで甘いものを欲していました。「あんな辛いものを見たら、そりゃあ甘いものが必要だよね!」と、私たちは出口で果物を買っていました。悲劇の地であっても、泥臭くタフに日常のビジネスを営む彼らの強さと、それにすっかり生かされている自分。不謹慎さへの身構えを、人間の生への本能が軽々と飛び越えていった瞬間、なんだか可笑しく、張り詰めていた心がすっと軽くなりました。

それでも、胸に残るずっしりとした余韻を察して、私の「小太阳」は、すぐにその眩しいエネルギーを発揮してくれました。「散散心吧~(気晴らししようよ)!」と明るい声で私の手を引き、憂鬱な沼に沈み込みそうになっていた私を、賑やかな現実の街へと力強く連れ出してくれたのです。

私が感傷に浸りそうになると、すかさず冗談を言って笑わせてくれる彼女の優しさに触れながら、私たちは日常へと帰っていきました。北京ダック以上にジューシーだった南京の烤鴨も、シンプルな陽春麺も、プルプル食感な鸭血粉丝汤も、少食な私たちはすべて一人分だけを頼んで半分こにしました。歴史が描く「分断」の真逆をいくようにご飯を分け合い、最終的にはお互いの風邪の症状まで物々交換するようにして体調を崩していきました。歴史の重さに潰されそうになっていた私を、彼女の持つ圧倒的な生のエネルギーと温かいご飯が、優しく現実の光の中へと引き戻してくれたのです。この泥臭くも愛おしい「共有」の姿こそが、私たちの旅のまぎれもない等身大の姿でした。

少食な私たちが一人分を頼んで半分こにした、烤鴨や鸭血粉丝汤。彼女の笑顔と温かいご飯が、私を現実の光に引き戻してくれました。

過去の悲劇を人間として深く悼み、冷静に学び続けることは、今の時代を生きる一人の人間として、今後も大切にしていきたいと思います。しかしそれと同時に、いま目の前にいる大切な人と手を繋ぎ、お互いのたくましさを笑い合いながら、今の時代の平和や食事の美味しさを全力で噛み締めて生きていくこと。そして隣にいる友人の視点に耳を傾け、対話を重ねることで初めて見える景色があります。それこそが、国籍という主語を超えて、私たちがこれから未来へと繋ぐべき、最も等身大で確かな一歩なのだと信じています。