
石川県日中友好協会名誉会長
株式会社アルプ会長
NPO法人日本海国際交流センター理事長
古賀克己さん
1939年福岡県大牟田市生まれ
石川県日中友好協会名誉会長
(2006年~16年の10年間、会長職)
株式会社アルプ会長
NPO法人日本海国際交流センター理事長
1998年に初訪中し、現在(2026年8月)まで中国大連市に192回訪問
大連市名誉市民、大連市10大学の客員教授を務める
企業経営の傍らNPO法人日本海国際交流センター理事長として日中友好交流事業に取り組んでいる(今年で法人設立25周年)
1998年、初めての中国との出会い
私が初めて中国・大連を訪れたのは、1998年8月12日のことでした。
当時、私の会社には、中国から博士号を取得するために日本へ来ていた留学生との縁がありました。福井や石川の大学で学んでいた二人をいろいろとお世話しているうちに、そのご両親から「ぜひ中国に来てほしい」と声を掛けていただいたのがきっかけです。
それまで私自身、大連とは特別なつながりがありませんでした。しかし、ちょうど富山から大連への直行便が飛び始めた頃でしたし、私の会社は健康・医療に関わる仕事をしていますので、「せっかく行くなら中国の医療事情も自分の目で見てみたい」と考え、大連大学や大連医科大学などを訪問しました。
最初の訪問では留学生に通訳をしてもらいましたが、2回目からの訪問から今日までの間ずっと通訳はもちろんのこと、スケジュール調整や連絡係を務めてくれている劉愛君先生(大連工業大学外国語学院教授)の献身的なサポートのおかげで、大連との交流が深まっていきました。
大きな転機になったのは、大連大学の趙亜平学長との出会いです。1999年11月、趙学長が日本を訪問された際、三泊四日の滞在をほぼ一緒に過ごしました。
日本のことを少しでも多く知り、それを大連大学の発展につなげようとする姿勢が非常に印象的でした。特に教育や医療に対する思いには、私自身も共感するところがあり、「この人たちとは本格的に交流を続けていこう」と思うようになりました。
教育交流から広がったつながり
最初に力を入れたのは教育交流でした。
大連大学では、日本語学科をさらに充実させたいという思いがありました。そこで、日本語を教えている先生方を日本へ招き、三週間から一カ月ほど滞在してもらう研修を始めました。
日本語を教える以上、教科書の中の日本だけではなく、実際の日本社会や文化を知ってもらうことが大切だと思ったからです。安心して研修できるよう、金沢にマンションを用意して先生方の宿舎にしたこともありました。
こうした交流を続けるうち、大連の大学と石川県内の大学との関係も広がっていきました。大学間交流だけでなく、大連から先生方が北陸先端科学技術大学院大学の博士課程に進学するなど、人の往来が非常に活発になりました。
現在までに、日本語教師の研修をはじめ、多くの学生や研究者の往来につながっています。また、大連では毎年5月頃、アカシアの季節に日本と中国の市民が一緒に街を歩く交流行事があります。私も日本から多くの方を連れて参加してきました。
中国に対して何となく抱いていたイメージが、実際に街を歩き、人と話すことで変わっていく。その様子を何度も見てきました。
一度中国へ行ったことをきっかけに、中国を好きになり、その後も交流を続けてくれる人もいます。そうした一人ひとりの経験を増やしていくことが、民間交流の大切な役割だと思っています。
民間交流から行政間都市交流へ
こうした民間交流は、やがて行政や大学、企業を巻き込んだ交流へと広がっていきました。
金沢市はこれまで蘇州市と姉妹都市提携を結んでおり、1国1都市しか提携ができないという規定がありました。しかし、民間から先行して様々な交流を展開し、その後行政も巻き込み交流を進めた結果、2006年には、金沢市と大連市が友好交流都市となりました。民間交流の積み重ねにより、民間の往来が活発になり、大学や企業の交流へと発展し、やがて都市と都市との関係につながっていった事例となりました。また私自身も2006年から2016年まで石川県日中友好協会の会長を務め、行政と一緒に南京や蘇州などとの交流にも参加してきました。
難しい時だからこそ交流する
2026年6月には、金沢で初めて「チャイナフェスティバル2026石川」が開催されました。
実は最初に話をいただいた時、「こんな大変な時期にやるのか」と思ったのも事実です。日中関係を取り巻く環境は決して簡単ではありません。
それでも私は、「交流なくして友好なし」だと思っています。
関係が良い時だけ交流するのではなく、難しい時だからこそ、人と人とのつながりを切らないようにしなければならない。何か行動を起こさなければならないという思いがあり、「まずやってみよう」と引き受けました。
二日間で約1万8000人の方に来場していただきました。準備は手探りでしたし、経費もかかりましたが、長年日中友好に携わってきた方々と久しぶりにお会いし、話をすることができたことも含め、「やってよかった」と思っています。
今回のフェスティバルについても、石川県や金沢市の行政関係者から前向きな反応をいただきました。
地方で交流を続けていくためには、行政だけでも、民間だけでも難しい。お互いにできることを持ち寄りながら、人と人との交流を続けていくことが大切だと思います。

次の目標と次世代育成
これから私が特に大切にしたいのは、若い世代の交流です。
私の会社にも、中国から日本へ来て博士号を取得した後、そのまま働いている人たちがいます。また中国の現地法人でも多くの若い人が働いています。
今後も若い職員を中国へ連れて行き、実際に中国を見てもらいたいと思っています。将来的には大連から日本へ人材を派遣するなど、新しい形の交流も考えていきたいです。
また私自身1998年に初めて大連を訪れてから、まもなく30年になります。大連を何度も訪れ、今回の取材時点で訪問回数は192回になりました。記念すべき200回目の訪問を目指して、今後も政治情勢に左右されることなく、民間交流を途絶えさせないで交流を展開していこうと思います。




