科学でつなぐ記憶と未来―坂田文彦先生が受け継ぐ日中友好の絆

2026年7月1日号 /

友好訪問プロフィール

茨城大学名誉教授
公益財団法人俱進会常務理事
日中科学技術交流協会理事

坂田さかた文彦ふみひこさん


1944年生まれ。茨城大学名誉教授、公益財団法人俱進会常務理事、日中科学技術交流協会理事。京都大学理学部卒、理学博士(九州大学)。東京大学原子核研究所、ミュンヘン工科大学、グルノーブル大学などで研究に携わる。1970年代後半からデンマーク・ニールスボーア研究所との国際共同研究を組織。1985年から、中国科学院理論物理研究所をはじめ、中国の大学、研究機関との学術交流を長年続けてきた。理論物理学者・坂田昌一の長男。益川敏英氏は大学院時代からの友人。

幼い頃の我家には、学問や思想、世界情勢に関する話題が自然にありました。当時の日本では、戦後の空気の中で、ソ連やロシア文化への関心も強く、私自身も高校時代にはロシア民謡や唯物論、カント哲学などに興味を持っていました。中国だけを特別に意識していたというより、むしろ世界の中で日本がどう生きるべきか、学問は社会とどう関わるべきか、そうした問いが身近にあったように思います。

一方で、戦後の日本には、中国やアジアに対して日本が行ったことへの反省も強くありました。学生の間にも、アジアに対する関心や、二度と戦争に加担してはならないという意識がありました。大学時代、北京シンポジウムでの父の挨拶を北京放送で聞いたことがあります。「学問は帝国主義の下僕になってはならない」という父の言葉は、若い私にとって非常に大きな衝撃でした。

父と郭沫若の交流が残したもの

私の父は理論物理学者の坂田昌一といい、「坂田模型」や、のちの素粒子論の発展につながる研究で知られています。そんな父と中国との縁は、1950年代前半にさかのぼります。中国科学院の初代院長でもあった郭沫若氏との出会いをきっかけに、父と郭氏の間には深い信頼関係が生まれました。それは単なる学術交流にとどまらず、やがて坂田家と郭沫若家との家族ぐるみの交流へと広がっていきました。

父が重い病を患った晩年には、郭沫若氏が父の体調を気遣い、中国から中医薬を送ってくれたこともありました。父が亡くなった後も、郭沫若家との縁は続きました。1972年に日中国交正常化が実現し、両国の往来が少しずつ開かれていく中で、家族同士の交流も再び深まっていきました。私自身、中国に対して特別な感情を最初から持っていたわけではありません。しかし、父の世代が築いた信頼関係に触れる中で、日中交流とは制度や肩書だけではなく、一人ひとりの記憶と誠意によって支えられているものだと感じるようになりました。

中国科学院で見た研究者の熱意

私が本格的に中国と関わるようになったのは、1985年に中国科学院理論物理研究所から招聘を受けたことがきっかけです。約一ヵ月間、中国に滞在し、北京をはじめ、蘭州や上海などの研究機関を訪問し、講義やセミナーを行いました。

当時の中国は、改革開放が始まって間もない時期で、現在のような豊かさはまだありませんでした。北京空港も、市内へ向かう道路も、今とはまったく違って見えました。しかし、研究者たちのまなざしには非常に強い熱気がありました。文化大革命の時期に研究の機会を奪われた人たちが、もう一度学問を取り戻そうとしている。その真剣さが、講義の場でも、議論の場でも強く伝わってきました。

その後も私は、中国各地の大学や研究機関を訪れ、理論物理を中心とした研究交流を続けました。中国の若い研究者や学生と議論し、共同研究を進め、時には地方大学の研究水準を高めるための講義にも関わりました。科学の世界では、最終的に重要なのは国籍ではなく、真理に向き合う姿勢です。異なる歴史や文化を持つ研究者同士が、互いの考えを聞き、議論し、協力する。その積み重ねこそが、日中関係の一つの確かな基盤になると考えています。

次の世代へ受け継ぐために

2024年、私は父が生前に郭沫若氏から贈られ、大切に保管してきた揮毫作品などを、北京の郭沫若紀念館に寄贈することを決めました。長年、名古屋の家に残されていたそれらの資料を、私個人の手元に置き続けるよりも、日中友好の歴史を伝える資料として、よりふさわしい場所で保存してもらいたいと考えたからです。

東京都日中友好協会の協力のもと、東京で行われた寄贈式では、父と郭沫若氏の交流、そして両家に受け継がれてきた友誼が改めて紹介されました。私にとってそれは、父の遺志を整理する作業であると同時に、次の世代へ一つの記憶を手渡す機会でもありました。

日中関係は、時代によって大きく揺れ動きます。政治的な環境が難しい時期もあります。しかし、だからこそ、人と人、研究者と研究者の交流を絶やしてはいけないと思います。科学技術は社会に大きな影響を及ぼす時代になりました。これからは自然科学だけでなく、人文・社会科学とも結びつきながら、より良い未来を考える交流がますます必要になるでしょう。