楽しかった北京の「朋友」との交遊 違う考えの国 だからこそ面白い

2023年3月1日号 /

日中共同発展推進協会会長・元札幌副市長
中田博幸さん

1949年、札幌市生まれ。北海道大学卒業後、札幌市役所に勤務。財団法人・日本自治体国際化協会北京事務所副所長、総務局国際部長、観光文化局長、副市長、公益財団法人・札幌国際プラザ代表理事などを歴任し、現在は北日本プロジェクト株式会社代表取締役社長、一般社団法人・日中共同発展推進協会会長として、日中のビジネス促進、交流活動に尽力している。

 

学生時代に「水滸伝」や吉川英治の「三国志」を読み、当時は未知の大国というイメージだった中国に漠然と興味を持ち、「きっとすごい国なのだろう」と憧憬を募らせた。

日中国交正常化が実現したのは、札幌市役所に入ったばかりの頃。「おとなりの身近な国なのに、自分たちは何も知らず、このままの状況はよくない」と思っていただけに、「未来へ向けて日本も中国も前進し、ようやく扉が開かれた」と、この世紀のニュースに希望を見出した。とはいえ、のちに中国と深く関わる人生が待っていようとは、夢にも思っていなかったのだが。

その後、仕事でも中国との接点が生まれる。中国の都市との交流事業を担い、中国人留学生に講座のスピーチを依頼するなどした。十分な謝礼を払えなかったが、35年くらい前の留学生はまだ経済的に豊かではなく、交通費程度でも喜んで協力してくれた。

2001年、日本自治体国際化協会北京事務所副所長の立場で北京へ。2年間の赴任生活では、自由市場で食材を買って自炊をし、大好物の「鴛鴦鍋」にはまり、河南省の世界遺産「龍門石窟」に感動し、付き合いの席で庶民向けの白酒「二鍋頭」(アルコール度数が50度以上もある高粱酒)を痛飲して互いに胸襟を開くなど、積極的に現地の文化に触れ、充実した日々を過ごした。滞在中に北京五輪開催が決定するというビッグニュースも。祝福の花火を眺めながら、憧れだった中国に身を置いていることの幸せを噛みしめた。

事務所が入っていたオフィスビルの喫煙コーナーで、思いがけない出会いもあった。そこは日本企業で働くドライバーたちの溜まり場で、カタコトの中国語でやり取りするうち、彼らにすっかり気に入られ、なんと歓迎会を開いてくれたのだ。それは純粋な「好朋友」の関係であり、彼らが集まる月1回の飲み会に、一人だけ日本人が加わるのが恒例になった。

「帰国時は送別会も開いてくれました。後ろ髪を引かれる思いで、涙目になりましたよ。彼らとはずいぶんと飲み、地元の人しか行かないような店に案内してもらったのも楽しい思い出です。今はやめていますが、ちょうどいい時期にタバコを吸っていたと思います。喫煙コーナーへ行かなければ、この出会いはなかったわけですから」

一部のメンバーとは、20年以上が経った現在も交遊が続いている。

北京での2年間は「人生の宝物」となった。ますます中国に魅かれ、公職を全うしたのち、自ら協会を立ち上げ、北海道と中国の架け橋となるべく汗を流す。特に長春市(吉林省)、瀋陽市(遼寧省)、杭州市(浙江省)には、固い絆で結ばれた知己が少なくない。さらに今年は中国人の北海道在住者を対象に、「北海道観光案内人」の養成学校を開設したいと意欲を燃やす。

「日本人と中国人は同じアジアの民族で同じような顔をしているのに、考え方はまったく違います。しかし、違うからこそ面白いのであって、互いに学び理解することに意味があるのです。役所を辞めてから、中国との関わりは深まるばかり。『ついに仕事にしちゃったな』との思いもありますね(笑)」

(内海達志)