高速鉄道は技術の積み重ね。 その事実を知ってほしい

2019年6月1日号 /

日中鉄道友好推進協議会事務局長
大沼 富昭さん
1947年生まれ。東海大学電気電子工学科卒。鉄道建設公団(現鉄道・運輸機構)に入り、99年から3年間JICA鉄道長期専門家として北京駐在。2004年から(一社)海外鉄道技術協力協会調査部長兼日中鉄道友好推進協議会事務局長。海外鉄道展開と日中鉄道交流に従事。著書に「新幹線と世界の高速鉄道」「世界の鉄道」(共にダイヤモンドビック社刊) など。

 

事務局長を務める「日中鉄道友好推進協議会」は、その名の通り両国の鉄道交流促進を図るための組織で、1997年に政府、運輸省、民間会社などによって設立された。翌年には北京の人民大会堂で中国鉄道部(当時)と「日中鉄道交流協定書」に調印。現在までの交流人数は4000人を超える。

多忙な業務の中、北京五輪決定に感動

中国との付き合いは、協議会発足前の88年から。JICA(国際協力機構)鉄道専門家として約1カ月間、中国の鉄道近代化指導のため訪中し、鉄道部での講義や現地視察など精力的に活動した。
99年3月、再び中国の地を踏むこととなった。JICA鉄道長期専門家の立場で、今度の任期は3年間。中国鉄道部日本専家弁公室に勤務し、新幹線のPRセールス、在来線の高速化、重慶モノレールの建設など業務は多忙を極めた。赴任した翌月、専門家と鉄道部職員の親睦を深めようと、玉淵潭公園で催した花見は苦い思い出となった。日本の料理を持ち込み、桜の木の下で楽しくやっていたところ、公安の尋問を受ける羽目に。「変な連中が酒を飲んで騒いでいると、誰かに通報されたのでしょう。弁公室の総務部長から『来年からやめましょう』と言われ赤面しました」
感動した思い出は、2008年北京五輪開催が決定した01年7月13日の光景だ。現地の高揚は尋常ではなく、「北京が落選の場合は暴動が起きる可能性があるので外出は控えるよう」との通達があったほど。幸い北京に決まったので天安門広場へ行ってみると、50万人はいたと思われる群衆が国歌を歌い、国旗を振り、歓喜に包まれていた。「中国が世界へ船出する歴史的場面に立ち会えたことは生涯の思い出です」

「乗り鉄」も満喫。感動あふれる旅に

「私」の時間も鉄道との付き合いは多かった。月に1度、金曜の夜行列車で各地へ出掛けたが、月曜朝には北京へ戻る1泊4日(車中2泊)のハードスケジュール。が、仕事にも役立つ有意義な旅となった。
「最も感動したのは貴昆線(貴陽―昆明)。急峻な谷に沿った路線で連続する段々畑が素晴らしかった。北京―上海間の夜行寝台列車では、『軟臥』(一等寝台)で同室のみなさんと交流したのも楽しい時間でした」。長年、中国の鉄道に関わってきた者として、どうしても伝えたいことがある。それは、中国の高速鉄道は新幹線技術を盗用したのではないということだ。
「車両は欧州や日本のメーカーから技術移転を受け開発したものですが、何ら不法行為はありません。6度もの在来線高速化による技術の積み重ねの延長線上に高速鉄道が存在するのです」。好きで駐在したわけではなかったが、いつしか鉄道を通じ、大好きな国になっていた。
(内海達志)