歳を重ねても、明日に希望が持てる 『健幸都市』をつくりたい

2018年7月1日号 /

旭東ダイカストグループ 会長
山森 一男(やまもり かずお)さん

1934年富山県生まれ。明治大学政治経済学部卒。自動車メーカーの営業を経て73年に旭東ダイカスト㈱(神奈川県足柄上郡山北町)に入社。86年に中国への投資を決断し、95年に上海市と寧波市へ進出。現在は社会貢献を通じた日中交流にも尽力。(公財)日中技能者交流センター理事

 

 

浙江省寧波市に進出して20年以上。「物づくり」の精神は今、大きく発展しながら「街づくり」の一端を担っている。「人とのつながりを大切にしてきた」。会長を務める企業グループは現在中国に6社を有し、その活動は経済交流の域を越えて社会貢献にまで及んでいる。

86年に中国進出を決断

ダイカストとは金型鋳造法のこと。同社では主に自動車製造に欠かせない精密部品を生産している。1973年、旭東ダイカスト㈱の代表(2代目)に就いたが、同年に起きた第一次オイルショックの影響で会社は経営危機に。「海外に目を向けたのはそれがきっかけ。まずは台湾メーカーとの技術提携を始めた」

85年、台湾の同業者の親類が寧波市の副市長とつながりがあったことで同市から企業誘致を呼びかけられる。翌86年に招かれ初めて訪中。「寧波は自然が豊かで四季もあり、環境が日本と似ていた。漢字で筆談できる点も大きかった」

当時は「自動車産業の影もなかった」という寧波だが、「中国は広く、人口も多い。自動車は必ず増える」との直感もあり投資を決断。中華全国総工会の要請で発足したばかりの日中技能者交流センターに入会し、中国の研修生を受け入れながら人材育成を進め、中国進出の体制を整えた。

転機を迎えたのは93年。元労働相で当時国務委員の羅幹氏と会う機会を得た。「自動車産業の発展がなければ中国の近代化はない。山森さん、中国へ投資をお願いします」。党指導者の後押しで準備は進み、95年に上海と寧波に合弁会社を設立。現在の発展に至る。

「挑戦」を胸に地域交流

創立100周年(2032年)に向けたスローガンは「挑戦」。そうした中、一昨年に市内寧海県にある公園の開発協力を持ちかけられた。「企業誘致だけでなく、地元民の福利につながる交流もしたいと考えていた」。快諾して4千本の桜を寄贈すると、行政側が1万本まで増やし、今年3月には「第1回桜祭り」が開かれた。会期中に文化セミナーを実施するなど公園は交流の場に。「喜びの声も聞かれ、人々の〝心〟が一つなったように感じた」

「相互信頼を理念」に!

そして今、産業支援、地域支援に続く新たな「挑戦」として取り組むのが高齢者福祉事業。行政と共同でデイケアセンターをつくり、高齢者の自立を支援している。「深刻な中国の少子高齢化問題の改善のために、『健幸都市』と称する歳を重ねても、明日に希望が持てる町づくりを目指したい」。中国では予想以上の反響が出ているという。

現在84歳。活動の原動力は「自分が歩んだ人生を振り返りながら、その〝締めくくり〟として日中交流に貢献したい」という強い思いだ。中国での「挑戦」の日々はまだまだ続きそうだ。
(北澤竜英)