いい本を作れば結果はついてくる

2020年11月1日号 /

 

(株)日本僑報社社長
段 景子(だん けいこ)さん

1989年に北京から来日。高知県立大学大学院で博士号(社会福祉学)取得。テンプル大学日本校、日本女子大学の教員を経て2004年より日本僑報社代表取締役社長。2012年には日中著作権代理センターを設立し両国の出版界交流に尽力。現在、立教大学共生社会研究センター研究員、出版翻訳プロ養成スクール「日中翻訳学院」事務局長も務める。日本僑報社 http://jp.duan.jp

 

出版で、日中の相互理解を深める 

 

創業25年の出版社・日本僑報社を率いる。「日中の相互理解を深める」を標榜して、日本で活躍する数多の中国人と、中国のために尽力した日本人を、書籍を通じて広く紹介してきた。

出版社の起業は自分の夢になかった。日本で博士号を取得し日本女子大学などで教えていた、社会福祉学の領域を極めたいと思っていた。想定外の方向転換をさせたのは、夫である段躍中氏の存在だった。「結婚3年目の1989年に、嫌がる夫を残して私だけ日本に留学したんです」

当時、躍中氏は北京で新聞記者として活躍していた。その彼を、半ば強引に呼び寄せたのは2年後の91年。日本に、「中国人は自転車を盗む」といった偏見があるのに驚かれた。それから、日中間に横たわる相互不信をなくすことが、夫婦共通の目標になった。

取り組んだのは、日本に根を下ろし、日本社会とともに歩む中国人の業績や動向を収蔵する本の刊行だった。その数1万人。データの収集と編集作業は難航を極め、いつしか、「この本は完成しないかもしれない」という諦めの気持ちが生まれていた。

夫は違った。本の編集中に過労で二度も倒れて救急車で運ばれたが、三度立ち上がった。中国での新聞記者職を投げ打った代わりに、まさしく命がけで取り組む姿を見て、ともにこの出版という世界で生きようと思った。こうして誕生したのが『在日中国人大全』。記念すべき日本僑報社最初の書籍となった。

編集者の夫を支えて

以来、経営者として同社の看板編集者となった夫を支える一方、大学教員も続けた。転機となったのは、またしてもある本の出版だった。2003年に発行した『新中国に貢献した日本人たち』。

日本の敗戦後も中国に残り、新中国建国に尽くした2万人余の日本人の生き様を代表事例で綴った。感動的な逸話集にしたかったのではない。自らの意思に反し、技術者、あるいは医師や教師として、中国側から協力を要請されてとどまった人たちが相当数に上った事実とその足跡を客観的に記録したかった。

「長く、多くの人の記憶に残る本となる」

自信をもって営業活動に邁進していると、理念に共鳴した思いもかけない人物が助力を申し出た。書籍取次最大手・日販の小関道賢会長だ。小関氏はまた、ライバル会社でもあるトーハンの上瀧博正会長を紹介してくれた。両社との取引が始まり、販路は全国へ一気に拡大した。これを機に大学を辞め出版に専念した。

まもなく刊行予定なのが、中国への留学や旅行の思い出を広く募集した「忘れられない中国滞在エピソード」シリーズの第3弾。例えば、中学生の時にいじめを受けて自殺も考えたが『三国志』の世界観を知って思いとどまり、それをきっかけに中国留学を果たした女性のエピソードなどが収められている。

夫と「いい本を作って出すこと」だけを目標にしている。結果は自然とついてくるから。

(本紙 吉田雅英)