7・8月号で名著「中国55の少数民族を訪ねて」の筆者である市橋雄二氏に、約30年前の取材エピソードを伺った。市橋氏の旅は、秘境・辺境を巡る過酷な「冒険」と呼ぶべきものであったが、そんな苦難の行程とは無縁だったものの、筆者も少数民族と触れ合った忘れ得ぬ旅の思い出がある。
時代は市橋氏と同じく30年くらい前。当時はまだ、素朴な中国が静かに旅人を迎えてくれた。今回は新疆ウイグル自治区と雲南省の4ヵ所を紹介したい。
「西遊記」ゆかりの火焔山
子どもの頃、夢中で読んだ物語のひとつが「西遊記」。その後、中国に憧れを抱くようになった要因のうち、この作品(堺正章さんが主演を務めたドラマ版も含めて)の影響は少なからずあると思う。
名場面がいくつもあるなか、特に印象深いのが「火焔山」を舞台に、孫悟空らが牛魔王と激闘を繰り広げた話だ。その名の通り、メラメラと火柱が上がる恐ろしい山として描かれており、当初は架空の地名だと思っていたのだが、のちに同名の山が新疆ウイグル自治区に実在すると知り、いつか行ってみたい、との思いを抱いていた。
25年くらい前にその夢が叶い、灼熱の砂漠に立ち、特異な姿の火焔山と対面した。砂岩が侵食された山肌には、炎を連想させるギザギザ模様が刻まれており、夕日を浴びると真っ赤に染まるのだ。

火焔山には、サルの王が天界で窯をひっくり返し、その残り火が地上に落下してできた、との伝説がある。一方、「西遊記」では、悟空が太上老君(道教の神)の八卦炉を蹴り倒し、煉瓦片が地上に落下して――と、火焔山誕生の故事が、似たようなストーリーになっている。
訪れたのは昼間だったので、残念ながら「火焔」はみられなかったのだが、壮大な景観に接し、「西遊記」のワンシーンがよみがえった。
すると、いつのまにか目の前にウイグル族の男女が。ふたりは歌と音楽を披露してくれ、その哀調を帯びた音色が、荒涼たる景観とあいまって心に染みた。

火焔山の名にふさわしく、気温50度を超える日もあるという。ウイグル族の男性に「暑いですね」と声をかけると、「きょうはそれほどでもないですよ」との答えが返ってきた。少しばかりの心付けを渡すと、にっこりと笑い「一路平安(よい旅を)」と言い、ゆっくりと砂漠の彼方へ去っていった。
市橋氏の著書でも触れられていたが、雲南省は少数民族の宝庫である。多くの観光客が訪れる大理古城の郊外に沙坪という小さな集落があり、ここはペー(白)族の人たちが月曜日だけ開く青空市場が有名だ。

野菜、果物、雑貨など、あらゆる商品が並べられ、地元客で賑わう。ペー族以外の、周辺の他民族も集まるという。とにかくローカルな雰囲気で、売り手も客も民族衣装を着た人ばかり。30年前は、観光客の姿は皆無であった。

果物を買ったついでに、ペー族の女性に「なぜ月曜なのですか」「月曜に大雨が降ったらお休みですか」と質問した記憶があるのだが、訛りがきつく、筆者のヒアリング力では答えを聞き取れなかった。
いまの沙坪の様子はわからないが、キャッシュレスが世界一浸透している中国だけに、みなスマホのアプリ決済で、というのが日常になっているかもしれない。

ペー族の少女の思い出
その雲南省大理では、19歳のペー族の少女と知り合った。風光明媚な洱海の遊覧船に乗っていると、外国人が珍しかったのか、彼女のほうから、きれいな普通話で声をかけてきた。高校を卒業後、ガイドの仕事をしているそうで、「仕事が終わったあと、自宅に遊びに来てください」ということになり、夕刻、約束の時間に、教えられた住所に行ってみた。

ごくふつうのアパートのような部屋に一人暮らし。家族は大理の市街地から遠い山奥に住んでいるとのこと。民族衣装から普段着に着替えた彼女は、別人のような印象であった。その感想を告げると、「あれは仕事用。昼間のほうがいいと思ったでしょう」と微笑んだ。

地元名産のお茶をごちそうになり、他愛のない世間話をして過ごしたのだが、彼女が日本のことをほとんど知らなかったこと、ペー族には豚の生肉を食べる習慣があることに驚かされた。インターネットなどなかった時代、彼女にとって北京も東京も同じくらい遠い場所だったのだろう。「いつか一度くらい北京には行ってみたい」と目を輝かせていた。
数々の珍食・奇食を体験してきた筆者だが、さすがに豚の生肉には縁がない。彼女は「次回、一緒にふるさとの村に帰ったら食べられますよ」と言ってくれたが、その機会がないまま歳月が流れてしまった。免疫があるペー族とは違い、絶対に安全とは言い切れないので、食べなくてよかったのかもしれないが。
翌日は、近くの山を歩いた。山道には慣れているのだろう。彼女のペースについていくのが大変だった。
あれから30年――。ペー族の少女は、19歳のまま筆者の記憶の中に生き続けている。

雲南省の省都・昆明から約600km。寧蒗イ族自治州に瀘沽湖という景勝地がある。ちなみに、イ族の漢字表記は「彝」。とんでもなく難しい漢字が使われている。

瀘沽湖に暮らすのは、モソ人と呼ばれる人たちで、鮮やかな民族衣装をまとい、不思議な文化を有しているのだが、55の少数民族には含まれていない。ナシ(納西)族の一派で、ゆえにモソ族ではなくモソ人なのである。

いくつもの山を越えて辿り着いた瀘沽湖は、桃源郷のような地であった。原生林に囲まれた湖面はどこまでも青く、遠くに彼らが聖地と崇める獅子山を望む。
モソ人社会には「通い婚」という習俗がある。男性は、昼は実家で過ごし、夜に妻のもとへ通うのだ。子どもは母親の家で育てられる。

星の光がまばゆい夜空の下、彼らが焚き火を囲んで歌い踊る伝統芸能が、なんとも幻想的であった。終演後は静寂そのもの。やることもないので早々に布団に入り、今頃、男性たちは妻の家へ向かっているのかと想像しているうち、深い眠りに落ちた。
最近の瀘沽湖については、映像で知る機会があったのだが、すっかり観光地化され、往時をしのぶものは何ひとつなくなっていた。湖の美しさだけは変わっていないのだろうが。
しかし、こうした現実に異を唱えるつもりはない。市橋氏も同様の趣旨の考えを述べられていたが、どういう形であれ、モソ人の文化が継承されることに意味があるからだ。時代の変化を受け止めたうえで、少数民族を訪ねる旅に出てみたいと思う。
(内海達志)




