聶耳記念碑碑前祭が今年も命日の7月17日に藤沢市内の聶耳記念広場で開催され、鈴木恒夫藤沢市長をはじめ中国大使館の張漪波公使参事官、柳田秀憲湘南日中会長ら関係者約100名が参列し、故人を偲び功績を称えて献花を行った。
聶耳は中国の国歌「義勇軍行進曲」の作曲者で、1935年に藤沢の鵠沼海岸で遊泳中、24歳の若さでその生涯を閉じた。54年には藤沢市民有志により記念碑が建立され、63年には記念碑保存会が発足。81年には藤沢市と聶耳の出身地である昆明市が友好提携を締結、交流を深めている。
式典は主催者である記念碑保存会の渡辺光雄会長が「今後も記念碑を大切に守っていきたい」とあいさつ。鈴木市長は「記念碑保存活動と碑前祭の開催が日中友好に大きな役割を果たしている」と保存会に感謝の言葉を述べた。張公使参事官は聶耳の功績を述べるとともに、「両市の交流は40年余りの間で多大な成果を収めた。民衆の間に深い友情を築き上げ、より多くの両国の若者が中日友好事業に加わってきた」と両市の交流を称えた。
研修旅行に招待された昆明の大学生が日本語であいさつ
続いて、4月昆明市内の大学で開催された彩雲基金日本語スピーチコンテストにおいて第1位の劉芳菲さん(雲南民族大学4年)、第2位の成誉豪さん(同大学1年)、3月藤沢市内で開催された湘南中国語スピーチコンテストで準優勝の尾作羽菜さん(横浜国際高校2年)が紹介され、劉さんが日本語で「中日友好の架け橋になりたい」とあいさつした。
その後、藤沢市消防音楽隊の演奏の下、厳かに献花が行われた。
(神奈川県日中友好協会専務理事 三浦修)