埼玉県日中友好協会講演会「梅屋庄吉と孫文」

2023年1月1日号 /

中国革命の父と称えられている孫文は、宮崎滔天や犬養毅など多くの日本人と関わりがあった。
しかし、生涯を通して孫文を物心両面から支援した日本人の存在は、本人の遺言により長く封印されてきた。
その名は、梅屋庄吉。
2008年、胡錦涛国家主席(当時)が、庄吉の孫の嫁ぎ先が営む日比谷松本楼(東京都千代田区)を訪れ、庄吉の名は広く知られるようになった。


埼玉県日中友好協会は2022年11月20日、辛亥革命110年と埼玉県山西省友好県省締結40周年を記念して「梅屋庄吉と孫文」と題した講演会を、庄吉の曾孫で日比谷松本楼社長の小坂文乃さんを講師に招き、浦和市の埼玉会館で開催した。

 

開催に先立ち橋本清一理事長は、自身が小坂社長の話に感動し埼玉県協会主催の講演会を計画した経緯を披露。続いて、新井滿会長代行が“友好の極地”で行われた交流を学びたいと述べた。

橋本清一理事長

新井滿会長代行

 

小坂社長は同家に伝わる一次史料等をスライドで示しながら、映画ビジネスで財を成した庄吉が香港で孫文と意気投合し「君は兵を挙げよ、我は財をもって支援す」と誓ったこと、孫文の死後その業績を後世に伝えるために銅像4体を中国に寄贈したこと、銅像は今でも中国で大切にされていることなどを解説。

庄吉が孫文と共に夢見た両国の友好的な関係を願い「2人の友情の物語を、これからを生きる子どもたちにも伝えたい」と抱負を述べた小坂社長に、約100人の聴衆から大きな拍手が送られた。

梅屋庄吉の曾孫・小坂文乃さん(日比谷松本楼社長)


日比谷松本楼には、孫文の妻・宋慶齢が愛用したピアノが展示されている。
孫文が日本滞在時、日比谷松本楼をたびたび訪れていたことから寄贈された、1907年製造のピアノである。
燭台付きの貴重なピアノを前に、日中両国の交流を振り返る人も多いだろう。

 

*日比谷松本楼の歴史はこちらから