中日の異同
前回は、「端」の基本的な意味について述べた。今回は、その訓読みの「は」、「はた」をめぐって述べてみよう。
日本語の「端」の訓読みで、前回で触れなかったものに、「は」と「はた」がある。この「は」、「はた」という読みは、中国語の〝端〟にはないもので、言うまでもなく、意味も使い方も日本語特有のものである。「は」という読みには、例えば、日本の唱歌『朧月夜』の歌詞にある、「見渡す山の端、霞深し」の中の「山の端」のような語や、噂されるという意味の、慣用句的な使い方、「世間の口の端に上る」の「口の端」のようなものは、辞書の説明では、「はし」の意味である。一方、そろわないものの意味としての、例えば「コーヒー茶碗の端物」の「端物」や「端数」のような、「はした」「はんぱ」のような意味での使い方がある。実際、日本語学習の段階で、この2語を見たとき、「端物」は、その2つの漢字の組み合わせは、絶対に中国語的ではないので、最初から注意していたが、「端数」は、中国語にないものの、何となくありそうな顔をしていたもので、読みも意味も分からず、大分困惑していた時期があった。なんといっても、この「端数」は、「端」は訓読み、「数」は音読み、いわゆる「湯桶読み」なのだが、それが分からず、ずっと普通の漢字の読み方と思って、「たんすう」と読んでいた。「端数を切り捨てる」のような言葉は、分かるようで分からないようで、本当に困ったものであった。
「はし」か「はた」か
前回は、「はしから」という語に触れたが、「最初から」という意味で、これは中国語の「端」の意味と共通性があった。しかし漢字を用いた「端から」は、この「はた」の読みで読めば、「はたから」となり、「端から口を出す」のような使い方では、「側から」、「傍から」という意味になる。実際、小説などの文学作品を読む際、所々でこういう問題にぶつかって、いつも頭を抱えていた。それから、「はた」はまた「へり」や「縁」の意味もある。例えば、「池の端」のような使い方がある。さらにほかの言葉と組み合わせて、例えば、「川端」、「炉端」のような熟語もできる。「川端」は、言葉の意味もそうであるが、小説家・川端康成のことがよく知られることで、きちんと読めた。それから、「炉端」は、日本の伝統的家屋の欠かせないエリアで、小説の中にもよく出てくるし、または映画のシーンになることも多く、とても印象に残ったものである。それから、ことわざ「女三人寄れば姦しい」という諺を習った際、担任の先生から、「井戸端会議」の話もついでに聞いたことがある。これらの「はた」は、いずれも、中国語にない意味・使い方である。なお、「川端」や「炉端」、「井戸端」など、「はた」がほかの言葉と結びついた時、濁音になるという点も、日本語学習者の頭痛の1つである。
言葉というものは、異なもの、味なものである。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)




