中日の異同
焼け小焼けの季節になった。今回はこの「焼け」を巡る中日の「焼け」と「霞」の異同について述べてみたい。
「夕焼け小焼け」は歌の文句として良く知られているが、「小焼け」は「夕焼け」の意味を補足する役割を果たすのみで、実際意味をなしておらず、日本の国語辞典にも載っていない。それは別として、日本語の「焼け」は「日の出前と日没後に空が赤く見えること」(『大辞泉』以下同)という意味で、中国語訳は普通、〝霞、彩霞、红霞〟などとなっている。そして「朝焼け」と「夕焼け」は、普通〝朝霞〟、〝晚霞〟と訳されている。ここで分かることは、「焼け」の中国語訳には、「焼」という漢字の中国語表記の〝烧〟という語が出てこず、〝霞〟という語が出てくることである。
現代中国語標準語の〝普通话〟では、「朝焼け」、「夕焼け」は、〝朝霞〟、〝晚霞〟だが、私の田舎の山西省夏県の方言にはちゃんと日本語に当たる〝早烧〟、〝晚烧〟という言葉がある。しかし、私の田舎に限らず、一般的に知られている諺に〝早烧连阴晚烧晴〟(朝焼けは雨続き、夕焼けは晴れ)というのがある。これは日本の諺の「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」に共通するものである。
現代中国語の辞書などにおいて、〝烧〟に関しては、発音は一声で、基本的には火を基にした、日本語の「焚く」、「焼く」などに当たる意味が載っていて、朝焼けや夕焼けといった空の現象をする意味項目は取り入れられていない。しかし、諺にある〝烧〟は、一声ではなく、四声と発音している。まとめていえば、現代中国語においては、〝烧〟はただ一声1つだけの発音を持つ語ではなく、四声の発音も持っている多音語といえよう。
「霞」について
一方、「朝焼け」、「夕焼け」の中国語訳にはいずれも〝霞〟という語が出てくるが、上記の日本語の「焼け」に関する説明には、「霞」の「か」の姿さえ見えない。というのは、日本語の「霞」は「空気中に浮かんでいるさまざまな細かい粒子のため、遠くがはっきり見えない現象。また、霧や煙が薄い帯のように見える現象」であって、「朝焼け」などの「焼け」の意味とは縁もゆかりもない言葉である。
しかし、一昔、中国東北の某大学の出版社が行った日語中訳コンテストで、『朧月夜』の歌詞が問題文になっていた。入賞作の中には「見渡す山の端、霞深し」の「霞深し」の「霞」は〝晚霞〟(夕焼け)、〝彩霞〟(鮮やかな焼け)などと訳されているのがあった。上記の「霞」に関する辞書の説明で分かるように、日本語の「霞」は中国語では〝烟霭〟や〝雾霭〟、〝雾霾〟がこれに当たり、〝霞〟とは関係がないことである。中国語の辞書における〝霞〟の説明は、結構細かいので省略するが、ここでは結論として、日本語の「焼け」とほぼ同義だと考えて間違いない。
東京にある地名に「霞が関」というのがある。元々ただの地名だが、日本の司法・行政機関(中央省庁)が集まる地域であることから、転じて、日本の官僚組織や行政機関の代名詞として使われることが多い。この「霞が関」は、中国語に直せば、〝霞关〟となり、輝かしい光を放つ関所の意味だが、日本語なら、かすんで見える関所と理解してよかろう。中日の漢字の理解の違いによる、面白い1例である。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)




