自分より劣る言行か、参考になる手本か

2021年5月1日号 /

「他山の石」の意味

先ごろ、マスメディアをはじめ世間を賑わしたある政治家の発言に「他山の石」という諺があった。その発言の真意は別として、ここではその諺の意味の中日間における異同を見てみたい。
「他山の石」は〝他山之石,可以攻玉〟「他山の石以て玉を攻むべし」の略で、『詩経・小雅』に出典を求めることができる。

日本では、普通「(よその山から出た粗悪な石でも、自分の宝石を磨く役には立つという意から)自分より劣っている人の言行も自分の知徳を磨く助けとすることができる」(『広辞苑』)という意味で用いられ、その場合「自分より劣る~言行」が根本的なニュアンスであろう。

話題の「他山の石」に譬えられていたのは間違った行動、法にも触れるような行動なので、自分より劣る言行とは違う気がする。そういう意味では、その諺の運用は間違っていると言えよう。

 

中国語における意味

「他山の石」は元々中国語で、直接的には別に粗悪な石という意味ではなく、ただよその山の石という意味である。それを使って玉を磨けばよい玉ができる、というのが元々の意味で、よく比喩として用いられる。

現代中国語では、〝他山之石〟がよく使われる場面は、例えば明治維新が近代中国の開化にとっては〝他山之石〟であり、ネット上で検索すれば、他の地方のよい経験も〝他山之石〟となる。実際、1982年に中国大学生訪日団の一員として日本に来た時、歓迎レセプションにおける団長の挨拶で、日本の皆様と交流を行う主旨が述べられた後に、〝他山之石〟の話が出た。通訳を務めた自分がそれを「他山の石」と訳し、出席者の方々が頷くのを目にした時、通じた、と思った記憶がある。

日本語におけるニュアンスは少し違うにしても、その文脈から、それは日本のよい経験を学ぶという意味であると伝わったのだ。要するに、現代中国語での使い方は、非常にレベルの高い褒め言葉ではないかもしれないが、参考にできる、学ぶことができる「手本」の意味として使われていることが間違いない。

ここでは政治のことに嘴を入れるつもりはないが、世間でみられる一連の事件は、「他山の石」というより、とことんの「戒め」とするほうが、納得のいく使い方となるだろう。
このコラムで日中間の言葉の意味の相違についていろいろ述べてきたが、使う人の意図するところは別として、それぞれのコミュニティーでは、まずその正しい使い方が大切である。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)