人類共通の文化遺産の保護研究に命を燃やす

2022年1月1日号 /

浄土宗僧侶 日中理解実践家

小島 康誉さん

1942年名古屋市生まれ。
佛教大学文学部佛教学科卒。浄土宗僧侶。国際協力実践家。1966年「宝石の鶴亀」(のちにツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。株式上場を遂げるも1996年に起業30周年を機に退任。新疆は1982年以来150回以上訪問し、キジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査をするなど、文化財保護研究・人財育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し、現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウィグル自治区政府顧問。主な著書に『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『シルクロード・ニヤ遺跡の謎』『念仏の道ヨチヨチと』など多数。日本「外務大臣表彰」・中国文化部「文化交流貢献賞」・中国人民対外友好協会「人民友好使者」ほか受賞多数。

 

人生、何時転機が訪れるか分らない…。今回ご紹介する小島康誉さん(東京都)は、宝石商実業家→浄土宗僧侶→現在は国際協力実践の第一人者として、第一線でご活躍中だ。中国タクラマカン砂漠にて「ニヤ遺跡(日中共同ニヤ遺跡学術調査)」及び「ダンダンウイリク遺跡(日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査)」を発掘され、その後の保全、修復に尽力。

現代の「阿部仲麻呂」とも言われている。訪中は発掘研究を含めて実に200回に及ぶ。

若干24歳で宝石商として起業された小島さんは、「中国西域は原石が豊富だ」との情報を聞きつけ、1982年新疆ウイグル自治区に初訪問する。その時に思いもよらぬ出来事があり、それが現在にも繋がる一大事業になろうとは初訪問時はゆめゆめ思わなかったという 。

経営者として原石調査と買い付けに中国西域を初めて訪れ、キジル千仏洞を参観した際、「人類共通の文化遺産」と感じ、貴重な古代の文化財を何が何でも保護せねば、といった使命感に駆られたという。

それからというもの、中国の古代遺跡を保護、発掘という日中が協働する学術活動が始まった。

発掘調査の準備と開始

調査にあたり、第一に計画→日本及び現地スタッフとの交渉→企画意向書に調印→中国政府の許可→協議書の調印、と同時に調査隊の編成手配、先行した調査研究、無論資金の調達。これら過程を経て漸く調査に進める。現地調査での主な流れは、分布調査→撮影、測量、発掘の全てを研究を同時に行いながら進行。終了後は報告書を作成し、国際シンポジウム、文物展、書籍、講演、Web等にて発表に至る。特に難航した点は、・位置方向が分からない大砂漠での調査、・朝昼夜の温度差(零下10度~40度。温度差は50度であった!)・当然ながらトイレや風呂は無し、テントでの雑魚寝・食事は空腹を満たすだけの硬い羊肉、ナン、腸詰が3週間毎日繰返しで、お互いの身体が「羊臭くなった」り、寒暖差で体調不良が続出したという。外国との共同調査、度重なる協議書調印、様々な分野での研究者との調整、中国当局への許可申請、多額の資金調達…これらが最も厳しかったそうだー。

活動の成果と切望

このような苦難を経て発掘に至った「ニヤ遺跡」(調査1988~1997)、「ダンダンウイリク遺跡」(調査2002~2006)。今ではキジル千仏洞等で構成する「シルクロード:天山-長安交易路網」が「世界文化遺産」となり、今も中国政府が積極的に保護、研究活動をおこなっている。

レコードチャイナ(Record China)では『私が見た新疆ウイグル自治区』を毎週土曜日に寄稿されている。

「コロナ禍の為、2年間も訪中できていないが、22年は「日中国交正常化50周年」の年でもある。これを機に米中対立の影響で悪化中の日中関係も改善され、現地の多民族の人々と国際協力が再開できる年となることを願っております。」

(本紙 鵜澤晃子)