前号では復刊した名著『中国55の少数民族を訪ねて』の数ある取材エピソードの中から、共著者であり2024年に亡くなった市川捷護氏との思い出、チベットでの高山病の恐ろしさ、雲南省河西郷からの決死の脱出劇、歓迎の酒宴などについて伺った。後編のテーマは、特に思い出深い民族や、中国側スタッフとのコミュニケーションなど。前号で紹介できなかった素晴らしい写真も、あわせて楽しんでいただければと思う。

1962年、三重県出身。東京外国語大学卒業後、日本ビクターに入社。
ビデオソフト事業部でプロデューサーを務め、多くの作品を手掛けた。
2021年から公益財団法人日本伝統文化振興財団の理事長を務めている。
クマの毛皮を着た長老
55すべての少数民族を取材したとあって、その中から特に思い出深い民族を挙げてもらうのは難しい質問とは承知していたが、市橋氏が少し考えて口にしたのは、インドとの国境に近いチベット自治区米林県に暮らすロッパ族だった。1990年時点での人口は、わずか2312人と記されている。
この数字だけをみれば、幻の民族といえるが、実は国境を越えたインド側には約20万人の同胞がいるとされる。中印の紛争の歴史などによって、居住エリアが2つの国に跨ることになったのだ。
「その村はヤルツァンポ川の渓谷沿いに進んだ奥地中の奥地といった場所にあるのですが、そこで迎えてくれた100歳になるという長老は、クマの毛皮を着て、ナタを手にしていました。たくさんの少数民族と接してきましたが、さすがにインパクトがありましたね」
そんな外見からもわかるとおり、狩猟を生業としてきた独自の文化を有する民族で、チベット文化の影響をほとんど受けていないのが特徴とのこと。
「おとなりの錯那県を主な居住地域とするメンパ族は、チベット文化が色濃く感じられます。ただ、ここは外国人の立ち入りが禁止されている地域のため、中国側スタッフだけで撮影に行ってもらいました」
チベット自治区に限らず、辺境の移動は軍用路が多く、後日、検閲に引っかかっては厄介なので、沿道での撮影には細心の注意を払ったという。
また、音楽と舞踊が最もきらびやかだったとして、市橋氏はウイグル自治区があるシルクロードに暮らす民族を挙げた。
「楽器のルーツは西アジア。そこからインド、中国を経て日本に伝わったのですが、シルクロードには、2弦、4弦、弾く、叩くと、あらゆるジャンルの楽器が揃い、歌や踊りが生活の一部となっています。少数民族の衣装もカラフルで、生き生きと歌い、踊る彼らの姿は今でも目に焼き付いています」
かつて世界の民族音楽を集大成したビデオシリーズを手掛けた市橋氏にとって、かけがえのない時間となったに違いない。


疲れて気が立つと衝突に
5年間、計11回に及んだ取材旅は、日中共同のプロジェクトであり、中国側のスタッフとのコミュニケーションもまた重要なテーマだった。長期にわたり過酷な日々を過ごしていると、どうしてもストレスが蓄積されてしまう。些細なことから日中のスタッフが衝突することもしばしばで、中国事情にも詳しい市橋氏が間に入って調整役を担った。ご本人いわく「板挟み」だったようだが。
「ゆっくり休みたいときに、中国人スタッフがワイワイうるさいとか、そんなことが軋轢のきっかけになるわけです。ケンカしてるんじゃないかと誤解する人もいて。そこで帯気音や声調を有する中国語の会話は日本人には語気が強く感じられるので、そのあたりを説明したりしました。何もないときはいいのですが、疲れて気が立ってくると、爆発してしまうのですね。ただ、そのうち気心が知れてくると、日本人が『辛苦了(ご苦労さま)』と声をかけたりして、チームワークらしきものが生まれてきました」
多様な文化的背景を持つ少数民族の撮影は一筋縄にはいかず、中国人のコネクションがモノをいうケースもあったし、日本人の繊細かつ丁寧な仕事も欠かせなかった。まさに日中の「合作」だからこそ、珠玉の名作が完成したといえる。


「観光化」で文化の継承
1992年の初訪問から30年以上が経過し、中国社会が大きく変化したなか、いまも伝統文化が守られているのか。読者にとって気になるところであろうが、そのアンサーも含め、初版、新装版、文庫版と3つの「あとがき」が載っているのが興味深い。文庫版については、書き終えたあとに日中関係が悪化したことを受け、すべてボツにして書き直したという。
「本来は文化的な話を前面に出したかったのですが、それでは響かないだろうと思いまして。自分自身がなぜこの仕事に就いたのか、いまの政治情勢をどう見ているかなど、生々しく書いたつもりです」
文化の伝承については、簡単にいうと「観光化」という国策的な流れの中で保存され、あるいは復活する事例が増えている現実に触れている。
「中国的なダイナミックな動きといえますが、個人的にはこういう形であれ、伝承されるという点では意味があると思います」
ところで、1998年に上梓された本書が再び世に送り出されたのは、KADOKAWAの編集者、30代の井上直哉氏がたまたま手に取り、「いま出すべき」と感銘を受けたことがきっかけだった。帯に書かれた「忘れられた中国と出会う」のコピーは、井上氏の言葉だ。
あの頃の風景は追憶の彼方になってしまったが、本書には後世に語り継ぐべき普遍の価値が詰まっているように思う。それゆえ復刊の意義があるといえるだろう。市橋氏が師と仰ぐ市川氏の功績も偲びつつ、ぜひ一読してほしい。



(内海達志)




