中国語ゼロから北京大学医学部合格と優秀卒業生になるまで

留学先としては珍しい医学部を志し、見事卒業までに至った青山可奈さん。

2015年の大学三年生から中国政府奨学金を受給して、北京大学へ留学した彼女の経験を語っていただきました。

決断した大学入試への一策(進路相談と反骨精神から)
青山可奈

1 何故北京大学医学部への道に進んだのか

はじめに、私が何故北京大学医学部への道に進んだのかについてお話したいと思います。

私は幼い頃から医師になることが夢で、それは高校生になっても変わることはありませんでした。しかし、進路相談の際に担任の先生からはお前の成績では無理だとはっきり言われました。なぜなら、単調な授業の毎日に飽きていた私はほとんど部活に明け暮れる毎日で、高2になるまであまり勉強をしてこなかった私には医学部受験の準備時間が足りないという事でした。しかし反骨心だけは人一倍にあった私は、今から頑張れば大丈夫の一点張りで、主張をし続けました。

文理選択において医学部受験のための理系を選択しましたが、文系科目も好きな私は、英語教育に力を入れていた学校に通っていたこともあり、いつかは留学をという思いがありました。そのため、海外留学での医学部受験という道が自分の理想に一番近いのではないかと考えましたが、それがどれだけ大変なのかは大概想像出来ました。いろいろ悩んだ上で、将来医師になるのであれば複数の言語でコミュニケーションをとれる医師になりたいと思い、最終的に留学することを決心しました。

留学するなら英語圏という固定観念を持っていた私は、アメリカの医学部は学費が高額なため、どこか他に安い大学はないかといろいろ調べた結果、初めて中国という可能性を知りました。中国語は世界で一番多くの人に使われている言語であるそうで、私自身カナダに短期留学に行った時にも現地で中国語を使っている人の多さに驚き、同時に中国語の広範性を認識しました。地理的にアメリカより日本に近く、漢字を使い、何より患者数や症例数も多いということで、中国の医学部へ留学することを決心しました。

2 日本での高校時代

そこで、まずは高3で特進クラスに進級するため、高2から猛勉強を開始しました。同級生と比べて比較的遅い時期に勉強に火が着いた私ですが、高3では無事に特進クラスに進級することが出来ました。それからは受験勉強と中国語の勉強をする毎日でした。しかし、当時の私は中国語に対する意識が甘く、問題文がある程度読めて解答を書くことが出来ればいいと思っていましたので、中国語の勉強よりも数学や化学といった受験科目の方により力を入れていました。

当時北京大学医学部留学生の一般受験日は4月だったので、同級生達が受験を終え、大学の話題で持ちきりの中、孤独感を感じつつも、ホテルと飛行機を予約して北京へ行きました。受験当日の朝はタクシーに乗り、行き先を紙に書いて運転手に見せるほどの中国語力でしたが、何とか受験会場に到着することが出来ました。そして試験が始まってみると、自分の中国語力の無さにひどく痛感しました。試験問題は当然全てが中国語で書かれているので、当時の私にはそれを読むことすら難しく、全てを理解することが出来ませんでした。例えば数学のように数式で出題される科目はなんとか理解出来ましたが、化学のように元素記号などの固有名詞が中国語で出題された科目は、問題文を読むことすら満足に出来ませんでした。解答欄だけは空欄を残さずに全て埋める事をしたものの、私は中国語に対してショックで自信を失い、失意のために他の志望校は受験せず、日本に戻りました。

私はもう浪人するつもりで居たところ、5月の合否判定では幸運にも合格となりましたが、結果を信じられず、半信半疑な気持ちで大学に直接問い合わせたところ、下から2番目の成績だったと言われ、嬉しくもあり、悲しくもありました。また、この時に、入学には入学試験以外にHSKという中国語能力試験も必要であることを知りました。折角合格ラインに滑り込んだこのチャンスを絶対に無駄にしたくないと思い、直ぐにHSK5級を受験しましたが、やはり不合格だったので、8月末の入学までに毎日中国語教室に通いました。その結果、中国語を猛勉強した甲斐もあり、再受験したHSK5級に合格すると共にその上の6級にも合格することが出来ました。私が中国語に対して感じたことは、漢字は日本とは違う簡体字であることと、発音がとても難しいということです。中国語教室では先生とスピーキングの練習をしてもよく詰まり、言いたいことを言えるだけの語彙力がなかったり、自分の発音が正しくない事が原因で話が通じなかったりと、こんなに通じないものなのかという不安を再び抱いたまま時間だけがあっという間に過ぎ去り、気付けば入学手続きが行われる8月末になっていました。中国で生活するだけの語彙力も足りず、未だに読めない簡体字が沢山ある不安な状態で、2013年8月に私は中国の北京へと飛びたちました。

3 北京大学医学部入学

9月、待ちに待った大学生活が始まり、当初は嬉しさから心浮かれた状態でいましたが、それも束の間、授業を受けたら全く聞き取ることが出来ず、今まで習ってきた中国語は日常会話レベルであったことに気がつきました。大学の授業によく出て来るような固有名詞、例えばアミノ酸は中国語で氨基酸(ān jī suān)と発音しますが、単語の発音と意味を知らなかったため、それらを聞き取れるようになるまでには最低一週間はかかりました。教科書の文章を何とか読むことは出来ても、授業の内容を聞き取れないために授業についていくことが出来ず、このままでは落第もしくは退学になるのではないかと、とても焦りました。

そこで私は、まず聞き取りが出来るようにと考えた結果、大学の授業よりも中国語の習得に勉強の軸を置きました。そこで、日本人との付き合いを控え、出来るだけ中国語を話す人達と関わるような環境に身を投じました。ところが、中国人の同級生と話す日常会話は、授業に出てくるような固有名詞が出てくることもなく、日常会話でのリスニング力とスピーキング力は向上しましたが、授業内容を聴き取るほどの効果は得られず1年が過ぎました。

4 2、3年生での基礎医学

何とか2年生に進級したところ、解剖や組織学といった基礎医学の授業が前期に始まりました。やはり授業を聞き取れず、危機感は増すばかりでした。そこで、授業内容を録音し、帰宅後録音を聴きつつパソコン上にピンインによるタイピングで簡体字を打ち出すという方法を始めました。ところが、解剖の授業一回分の録音時間は4時間、専門用語を調べながら復習した後パソコンに内容を打ち終わるまでには、倍の8時間かかりました。私は何としても授業を聴き取れるようになりたいと思い、それを死ぬ思いで半年間継続して頑張りました。すると、前期が始まった頃には10%しか聴き取れなかった授業も、前期の終わりには50%まで聴き取ることが出来るようになりました。この方法は、専門用語に対するリスニング力の向上とピンインの学習という、私にとって一石二鳥の効果的な勉強法になりました。
3年生になると、基礎医学の段階で最も授業が厳しい一年でもありましたが、授業内容も70%は聴き取れるようになり、授業に対する不安も減り、非常に自信に繋がることとなりました。お蔭様で、同時に学業以外、様々な活動にも取り組み、大変充実した大学生活を送れました。

大学3年 漢民族舞 且吟春雨

大学3年 2015年 薬理学実験後

5 再度不安な4年生

病院実習が始まると、授業に3年生までの基礎医学での固有名詞が出てこなくなり、ほとんど臨床医学の固有名詞になったため、再び授業内容を聴き取れず、授業について行く事が難しくなりました。3年生までに積み重ねてきた中国語力では対応出来ず、こんな状況に、再び大きなショックを受けました。さらに、中国語は話す人により沢山の方言が存在し、日常生活で正しい標準語を話す人はほとんどいないため、当時の私の中国語力では実習中に患者さんの話す言葉はほとんど理解出来ませんでした。
また、病院実習で初めてカルテの書き方を習いますが、私はこれまで中国語で正しい文法や文章の書き方を正式に習ったことがなかったため、正確なカルテを書くことが非常に大変な事でした。相手の話す内容を聴き取り、且つ正確な中国語で記載することを要求されるため、カルテを書くことが病院実習では一番辛かったことと言っても過言ではありません。結果として、授業と実習の両方とも聴き取れない私には、病院生活は正にお手上げ状態でした。再度抱えた中国語への自信の無さから、外国訛りの中国語を話す私に対し、患者さんや医療関係者は信頼してくれないのではないかと、非常に不安を抱きました。
そこで私は、中国のドラマを楽しく見ながら勉強する方法を思いつきました。4年前期終了後の長期休暇で日本に帰国した際、中国のドラマを見て字幕から意味を、正しい標準語を口を見ながら発音の仕方を、耳から正しい発音を、これを毎日何度も何度も繰り返し見て勉強しました。その結果、4年後期に入るとショックを受けるほどに聴き取れなかった授業は、臨床実習の固有名詞を事前に調べてピンインを振っておくという予習を併せてすることによって、何とか70%程度まで聴き取れるようになり、同時に気にしていた発音も大幅に改善されたように思いました。

大学4年 2016年 病院研修1

大学4年 2016年 病院研修2

大学4年 2017年 蒙古族 頂椀舞

6 正しい中国語をマスターした5年生

4年後期も中国のドラマを見続けた結果、5年生の授業では100%内容を聴き取れるようになりました。ようやく正しい標準語も話せるようになったので、入学時の私と違って、患者さんや会う人達から「あなたの中国語はとても綺麗で、外国人とは思えない。」と言われるようになりました。上手な言葉を話せるようになるということは、それだけで周りの人からの評価が変わり、自己紹介の際にも先生方からも常に一目を置かれる存在になりました。これは私にとって非常に嬉しく、自信に繋がり、頑張った甲斐があったと達成感を覚えました。

つまり、私は正しい中国語習得のために丸々5年を費やすこととなりましたが、結果として、授業や病院実習、そして日常生活で言葉での不自由がなくなり、ようやく充実した日々を過ごせるようになりました。

大学5年 2017年 北京大学医学部留学生寮

大学5年 2017年 北京大学医学部105周年のお祝い

大学5年 2017年 北京大学医学部105周年のお祝い2

大学5年 2017年 神経病の授業

大学5年 2017年 東洋医学の授業

大学5年 2017年 東洋医学の授業2

大学5年 2017年 東洋医学の授業3

大学5年 2017年 東洋医学の授業4

大学5年 2017年 東洋医学の授業5

大学5年 2018年  耳鼻科の授業

大学5年 2018年  耳鼻科の授業2

大学5年 2018年  病院実習

7 充実した実習生活

6年生の病院実習には外来と病棟の2つがあり、外来では1人の医師が一日でおよそ100人程度診察するので、先生の側にいるとまさに百聞は一見に如かずというように、1日に100人分の患者さんからの恩恵を受けながら勉強をする日々でした。病棟では色々な症例の患者さんと対面することを経験し、また、患者数が多いために、今まで授業で勉強してきた病気はほとんど病棟の入院患者さんを通して診ることができました。患者さんも私達学生の勉強のために、何事にも拒む事なく協力をしてくれました。特に私に協力的だったのは、自分の中国語力が格段に上達し、信頼関係を築けたことが大きな要因だったのではないかと思います。

大学6年 2018年  北京大学医学部

大学6年 2018年 北京大学本部は医学部とは別の場所にあります。

大学6年 2018年 麻酔科

これまでの努力の甲斐もあり、結果として、在学中には奨学金を得られたり、学業でもいろいろな賞に恵まれました。課外活動では中国民族舞踊のサークルに参加し、中国の様々な民族の踊りを教わったり、また、高校時代に習った中国史を探求するため有名な観光地に行って理解を深めたりと、留学をしている間に出来る限りの活動を行いました。時には病院ボランティアで医療通訳として案内活動に参加したりすることもありました。
そして、今までの学業や様々な活動を認められたのか、光栄なことに卒業時には北京大学医学部2019年度優秀卒業生に選ばれた唯一の留学生となりました。

大学6年 2018年 留学生初動大会1位

大学6年 2018年 北京大学医学部卒業式

 

大学6年 2018年 北京大学本部卒業式

優秀生証明書

「初志貫徹」という言葉がありますが、卒業した今、振り返ってみると、私の大学生活は9割以上の時間が苦しいものであったように思います。それはやはり言語の壁でした。中国に留学をする前は、外国語で学ぶということがこんなにも難しいとは思ってもいませんでした。言葉が分からずに枕を涙で濡らした日々や、授業についていけずに大学を辞めてしまおうかと考えた回数は、数えきれないほどでした。しかし、その度に、あともう一度だけ、あともう一日だけ、頑張ってみようという思いが結果的に6年間続いたため、卒業出来たのだと思います。
最後に、私の経験から、言語を変えて学問を勉強するには、継続した努力と真剣さ、そして時には忍耐も必要で有ることをこの六年間を過ごして痛感しました。中国語の場合は発音とリスニングと文字数に難度がありますが、どの言語でもその言語特有の難点や特徴を押さえて根気よく勉強すれば習得は可能だと思います。海外の学校で学びたいと思うなら、やはりその国の言語をしっかりと磨かなければ、交流する事はおろか授業を聴き取る事すら難しいと思います。留学中は様々な壁にぶつかることもありましたが、努力を積み重ねれば成果は得られるという事を証明出来たのではないかと思います。

私の留学経験が、チャレンジを恐れず、これからの留学を考えている方の参考になれば幸いです。